» 2013/06/03/

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其の三 家相と九星と風水と・・の巻 前回、鬼門を知る、パートⅠと言う事で、鬼門についての起こりや故事を少し紹介いたしましたが、
今回はその続き・・ではありません。パートⅡはまた追々に・・と言う事で、
先に今回は家相・地相について巷で言われている、風水や九星のお話をしたいと思います。
もう皆さん風水については、テレビや雑誌なんかで名前だけはよくご存知なのではないでしょうか?
しかしながら、日本に近年流布した、風水の情報は誤って認知されてしまった部分が多いと私は感じております。 「西の方角にはコレを置くといいです」とか「南のお部屋にはこんなインテリアで・・」とか・・
そんな情報はいっぱい溢れましたが、 実はそう言った情報は全て、風水とはほぼ無関係です。
風水がまだ日本で騒がれていない頃に、
一部の日本の家相家達が、「風水」と銘打って広めてしまった「九星」の考え方を使った情報なんです。
本来風水とは古代中国で生まれた当時の地理学の様なものでして、
家の色はどうのこうのとか、部屋のインテリアがどうのこうのとか言われるものではありません。
その土地、その住まいに良い気が巡ってくるかどうか? 良い気が集まるかどうか?
を判断する知恵が風水なのです。
決して部屋の模様替えや家の増改築で良い気が集まってくるものでもありません。
日本の一部の家相家達が風水の名を借りて広めてしまった、九星を応用した情報なのです。
そうです。一般的に家相を判断する上で必要なのは九星を用いた方法と言う事になります。 「其の一」でお話した江戸幕府の終焉、最後の将軍慶喜が
江戸から見て鬼門(北東)の水戸徳川家より招かれた故事も、
何故、天海が亡くなる前に幕府の最後を予言していたのかと言うと、
九星で言うところの北東の象意に相続や跡目と言った意味合いがあり、
鬼門の方角を犯すと跡取りや相続人の問題が起こると言う、
九星の考えにのっとった予言であった事が理解できるのです。 ちなみに、この日本で風水的に観て良い気が一番流れてきて集まる場所は何処か?
と言うと、皇居東御苑と言われています。この場所、旧江戸城があった場所なのです。
勿論造営に意見したのは南光坊天海です。天海が風水学、九星学に長けていた事がよくわかります。(武知司竜)
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