建築家と素敵な家づくり
前号の119棟目に引き続き故富田眞二さん設計の住宅を掲載します。119棟目のI邸と120棟目のS邸はほぼ同時期に設計をスタートしてますが、完成した住宅は全く違います。富田さんがいかに建て主の考え・こだわり・ライフスタイルを重視して設計をされたかがわかります。

屋根はシルバーのガルバリウム鋼板。外壁は焼杉と一部ラムダサイディング。どれも素材そのものの表情があるものを使用。2Fに見えるのは夫婦の寝室で、「一番、気持ちの良い場所をもらった」とご主人。そのベランダからは中庭を見下ろせるようになっている。
「家の中にも暗い場所を」という思いに共感
『建てようネット』に来られたSさんご夫妻にも、他の来場者同様、幾人かの建築家と密な面談をしてもらった結果、最後に一人を選ぶのは随分迷われたそうですが、「今思うと、『家の中にも暗い場所、怖いと感じる場所があったほうが良い。そういうものがある家で育った方が感受性豊かな人間になる』という富田先生の言葉が決定打だったのかもしれません」。
そもそもSさんが家づくりを始めるにあたって一番に考えていたのは、もともとお祖父様の家があった場所に新たに建てるということで、当時の風景を継承するという思いがあったそう。昔ながらの佇まいで建っていたその家では、風呂場やトイレに行くにも暗くて「怖いという思い出もあった」とか。しかしその場所で過ごしたことが今の自分を形成しているという思いもあり、富田さんの言葉が強く心に響いたのです。
富田先生曰く「Sさんは病気」。その真意とは?
Sさんと富田さんが家づくりを進める中で、間取りの相談や部屋の広さ、使い勝手など、具体的なプランに関しては、実はそれほど重要ではありませんでした。なぜなら、Sさんの“家”に対する観念的な思想がはっきりしていたから。「祖父の家を継承する・・・という意味で、土間や縁側を作りたかったのは確かです。でもそこからさらに突っ込んで、“土間って何のためにあるんだろう?”“縁側って何で必要なんだろう?”と考えてもいました。それを現代なりの解釈で形にしたいという想いもあって、それを富田先生が現実のものにしてくれた、という感じですね」。
そうして懐かしそうに語るのは、Sさんだけではありません。当時、富田建築設計室のスタッフとして働き、S邸の設計に携わった埴淵さんにも同様に、思い出は強く残っています。「富田先生は、『Sさんの建築に対する思いはある意味病気だ』と仰っていました。もちろん褒め言葉として、ですよ(笑)。それだけ家に対して深く意義を追求出来る人はなかなかいない、と。Sさんの家の設計について話をしている富田先生の嬉しそうに話す姿は忘れられませんね」。
長く住むほどに、その良さがわかる家
さて、S邸の設計のお話。周囲に遮るものがなく開放的な土地にも関わらず、建物をロの字にして、中庭を配置しています。「普通なら外へ向けて開けた設計にするところですが、あえて中庭のあるプランを提案しました。Sさんにでなければこのプランは提案していなかったと思います。『心象風景を家という形にする』この家を設計する上で先生が大切にされていたことです」。
「中庭、通り土間、小径(こみち)・・・と、理想的な家ができました。快適に過ごせる家ですし、住み心地は抜群に良いです。でも、それらが持つ意義を、僕はまだ全部はわかっていないと思います。住み続けていくうちに徐々にわかっていく、長い時間をかけて気付くことのできる、何かがあるのではないかと。おそらく、富田先生にはわかっていたんだと思います。年令を重ねて、僕にもそれがわかるようになったら、縁側でお酒でも飲みたいですね。富田先生のぶんのグラスも用意して」(Sさん)。
Sさんの夢を叶えた建築家/建築家・故 富田眞二
設計コンセプト
「玄関への長いアプローチは中庭へと続き、建物を貫く小径で裏の勝手口に繋がる。見晴らしのいい場所で敢えて中庭を創ったのは、心象風景を取り戻したかったから。内部は東にリビングとダイニング、北にキッチン、西に子供部屋を置き中庭を囲んでいる」
*(編集部注)設計コメントは、富田さんが自分のHP用に書いていたものをそのまま掲載しました。
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【富田眞二さんとの思い出写真】
2013年3月の上棟式の写真。